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平成の画像 伊那松島区のED62

1997年春の伊那松島区です。

平成の画像 伊那松島区のED62_e0264203_10305963.jpg
(左からED62 16、ED62 5、ED62 6 伊那松島機関区 1997年3月か4月(許可を得て構内で撮影))

クモハ12 041を撮影したくて訪れた伊那松島区ですが、ED62が何両も留置されていたので撮ったものです。

それもそのはず、撮影前年の1996年9月に飯田線北部の貨物輸送は事実上終焉しており、出番無く構内留置されていたのでした。

ED62 16は前照灯はオリジナルの1灯ですが、5と6は2灯シールドビーム化されています。
パンが下りているので分かり辛いですが、ED62 5は交差パンタPS22Bに換装されています。

車番が分かるのはこの3両ですが、庫内に1両とED62 6の先の庫外にももう1両居て、画像に映り込んでいるだけで5両が留置されています。

旧型国電が廃止され、伊那松島区を訪れる人は少なかったハズですが、この時突然の訪問にも係らず入場を快諾頂き、貴重な記録が出来ました。
そのお礼にと、帰りがけに事務所でED18のオレンジカードを買って帰った記憶があります。
ED62は、平成になってからの廃車だったことから、しばらくは何両かは残っていたのですが、その後は結局1両も保存されることなく全車解体されてしまいました。新性能機関車のパイオニア的な存在だっただけに残念ですね。


# by takurika54 | 2017-11-25 15:33 | その他 | Comments(0)

平成の画像 クモハ12 041の銘板

伊那松島機関区での画像の続きです。
クモハ12 041には4枚もの銘板が取り付けられていて、アップを撮影しておりました。

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(クモハ12 041の銘板 1997年3月か4月 伊那松島機関区にて)

右下がオリジナルの銘板→昭和3年 汽車會社東京支店 製造
右上はJR東海の銘板→元は日本国有鉄道の銘板だったハズです。
左下は更新車銘板→型式称号規定改正と時同じくして更新修繕されたもので、施工は昭和29年 国鉄豊川分工場 となっています。
左上は改造銘板→牽引車へ改造された時のもの、この時はクモヤ22 112 となっています。

牽引車からイベント用に再転身した際には、改造と呼ぶような変更は無かったのでしょうか?


# by takurika54 | 2017-11-05 01:05 | その他 | Comments(0)

平成の画像 ED62 16とクモハ12 041

前回に続き1997年の伊那松島機関区から画像をお届けします。

平成の画像 ED62 16とクモハ12 041_e0264203_22304483.jpg
(ED62 16とクモハ12 041 1997年3月か4月 伊那松島機関区にて)

ED62 16は、飯田線北部の貨物輸送に使われていましたが、1996年秋に事実上の運用が終焉し、この頃には他のED62とともに伊那松島機関区に留置されていました。
半年ほど使われていなかったからか、ナンバーやヒゲの部分から少し錆が浮いてしまっています。ボディの青色も退色しています。
それでも、前照灯はシールドビーム化はされずにオリジナルを保っています。

クモハ12 041は、現在はリニア・鉄道館に静態保存されているそうですが、HPの展示車両集を見ると、前面窓のHゴムが黒色になっていて見た目の印象が少し違います。

この写真を撮ってからも既に20年が経過しているのですね、時の流れは早いものです。


# by takurika54 | 2017-10-15 22:45 | その他 | Comments(0)

平成の画像 クモハ12 041

旧型国電が去った後も飯田線でイベント電車として運用されていたクモハ12 041です。

平成の画像 クモハ12 041_e0264203_22232759.jpg
(クモハ12 041 1997年3月か4月 伊那松島機関区にて)

この頃は鉄道から遠ざかっていて、旧車趣味だった頃に撮影しています。
1997年4月に長野県岡谷市にプリンス&スカイラインミュウジアムがオープンしたのですが、オープン前に旧車の搬入手伝いで行った際に、機関区を訪れたものです。

旧型国電が終焉を迎えて久しい時期でしたが、機関区へ訪問して構内での撮影をお願いすると、快く許可が下りました。
構内には、ED62が多数留置されていて、今調べてみると訪問した前年に飯田線北部の貨物輸送が事実上の終焉を迎えていたようで、運用が無くなったので出番の無いED62が多数居たようです。

クモハ12 041は、事業用のクモヤ22 112から旅客用に再改造され、イベント電車として第三の活躍の場を与えられていました。
正面さえ見なければ、17m級の旧型国電そのものです。両サイドとも乗務員扉横の窓が埋められていて違和感ありますが…。
シル・ヘッダーの間隔が短く、窓の高さ寸法が短めなため、全体的に腰高な印象です。


# by takurika54 | 2017-10-09 22:38 | その他 | Comments(0)

80年代 EF58 91

またまたF.Y君からの頂き物の画像です。EF58 91です。

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(EF58 91 撮影年月不明 大阪駅にて)

EF58 91は、ネットで調べてみると、元々は宮原区所属で、晩年は浜松区に移籍して浜松で終焉を迎えたようですね。
浜松区では、他機と同様に正面窓がHゴム化されてしまうので、この画像は宮原区時代のものと思われます。

原形小窓、格好良いですねぇ~

荷物列車のようですが、編成は短めのようです。

EF58 91は、引退後にブルトレ色に塗り替えられて、恵比須ビアトレインとしてビアホールの先頭車に連結され、恵比須ガーデンプレスのオープンまで恵比寿駅脇に置かれていました。平成5年に転勤で東京に来た頃には、まだビアホールは盛業中だったはずで、山手線の車窓から見掛けた記憶があります。
今も解体されずに健在なら、人気者になっていたでしょうね。


# by takurika54 | 2017-10-07 10:22 | 80年代 EF58 | Comments(0)